京都の黄檗宗大本山萬福寺同様、天王殿は福厳寺の玄関として建てられました。天王殿は日本に七か所しか残っておらず貴重なお堂です。現在の天王殿は1857年(安政4年)に建立され、令和6年に改修されました。まず、四方を四天王像(持国天、増長天、広目天、多聞天)に囲まれた天王殿に入り聖観音像と、次いで韋駄天像2体を排して本堂に向かいたと思われます。どれも京仏師康祐によって作られました。また、太神宮(天皇)の石祠も祀られています。

聖観音

聖観音像

大本山萬福寺の天王殿には、大きな太鼓腹をみせ笑う弥勒大師像(布袋)がいらっしゃいますが、福嚴寺には髪を結い上げた聖観音(弥勒菩薩坐像)がおれらます。観音菩薩とは、人々のすく緒を求める音を聞き、自在に姿を変えて人々を救う仏さまです。

布袋さんは弥勒菩薩の化身であり、お釈迦さまの滅後、五十六億七千万年後にこの世界に示現され救済されると信じられています。日本では七福神の一人として大きい袋を持った福をもたらす神でもあります。

参拝された方の災厄を払い落し、帰りに福をもたらしてくれます。

韋駄天

韋駄天はお釈迦さまと向き合う形で安置されています。それは、お釈迦さまが亡くなられた時、捷疾鬼という羅刹がお釈迦さまの舎利(遺骨)を盗んでいきました。お釈迦さまの舎利には、不老不死になるとか福が得られると信じられていました。韋駄天は須弥山の頂上まで追いかけて取り返したということより、お釈迦さまの守護者として祀られています。

また、お釈迦さまのために、方々を駆け回って食材を集めたということから、「御馳走」という言葉ができたといわれています。

四天王

四方を守る佛様で、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)の四体です。古くは法隆寺や東大寺にも安置されており、国家護持の守護神として天皇や貴族に厚く信仰されてきました。また、戦勝を祈願する多くの戦国武将の信仰も集めた仏様でもあります。日本古来の四天王は餓鬼を踏んで強さをあらわしていますが、福嚴寺の四天王は天衣を踏んでいます。

持国天は国を支える佛様で、国家を平和に安泰させる力があります。家内安全の御利益ももたらされます。

増長天は恵を増大させる佛様で、発芽し始めた穀物や成長するものという意味があり、五穀豊穣や身体の成長の御利益があります。

広目天は広く見通せる目をもつ佛様で、千里眼の力があるとされています。

多聞天は佛の教えを多く聞く佛様で、毘沙門天としても信仰され、七福神の一人でもあります。インドでは財宝や福徳をもたらす神とされていますが、日本では武神のとしてあがめられることも多く、上杉謙信は戦旗に「毘」の字を入れるほど厚く信仰していました。

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